もうかれこれ50年ほどまえのことだが、「千円札裁判」というものがあり、「芸術とはなにか」という問題が司法の現場で議論される一大イベントになった。発端は、赤瀬川源平が制作した当時の千円札を模した作品が、「通貨及証券模造取締法」違反にあたるかどうかということをめぐり、「事件性よりも法の場において芸術をめぐる言説空間が膨れ上がった」(成相肇)。ぼく自身はこのようすを赤瀬川の著作でかつてよみ、おおいに興奮したが、「「千円札の模型」が芸術だという理解がない裁判官に向けてアピールするため、高松次郎、中西夏之らが弁護人として「ハイレッド・センター」の活動について法廷で説明し、当時における「前衛芸術」の状況について説明した。また、他の関係者の「前衛芸術」作品も裁判所内で多数陳列され、裁判所が美術館と化した」(ウィキペディア)。
昨日、漫画家・アーティストの、ろくでなし子が、自分の性器の3Dデータを頒布した嫌疑で逮捕された。刑法の「わいせつ物頒布等の罪」の違反にあたるということが推察される。メディアは、逮捕の時点で、彼女があたかも犯罪者であるかのように、「自称芸術家の○○歳のおんな」(フジテレビ「スーパーニュース」:実際には実年齢が明言されている)などと彼女について言及し、「自称」とする時点で、ろくでなし子のアーティストとしてのアイデンティティを否定してはばからない(ちなみに、ぼくが確認したかぎり、日本の英語メディアでは、おなじ新聞社のものでも、「自称」にあたる表現はなく、単にartistとされているものばかりだった。ダブルスタンダード)。
ちなみに、ウィキペディア(上記リンク)によると、上記の「千円札裁判」においても、あの赤瀬川が「同 (1964) 年1月27日に、“自称・前衛芸術家、赤瀬川原平”が「チ37号事件」【当時話題になっていた別のニセ札事件】につながる悪質な容疑者であると、朝日新聞に誇大に報道され」たそうである。日本のマスコミは、すくなくとも50年まえからまったくかわっていない。
今回の事件にあたり、まず、当事者である、ろくでなし子氏が即時釈放され、起訴されたとしても、こうした当局の抑圧にまけることなく、きちんと司法でたたかっていただくことを希望する。「千円札裁判」の例がしめすように、判決のいかんにかかわらず、このようなかたちで、法のばにおいて芸術をめぐる言説空間が展開することはひとつのチャンスととらえることもできる(※このことに関連して、彼女の今回の行為を確信犯とするかきこみなどもみたが、これについてはどちらでもいいとおもう。確信犯なら、彼女自身があまりきずついていない分、むしろよかったというべき。ただし、とりしらべ中にまちがいなく彼女にむかって展開されるセクハラ的言説を想像するとこころがいたむ)。
メディアは50年間かわっていないとさきにのべたが、時代はそれでもすこしはかわっている。フェイスブックもツイッターもある。安保闘争以来とだえていた「動員」も、震災とファシスト政権の横暴の「おかげ」で再活性化しているのだ。なにかおもしろいことができるかもしれない、とおもいたい。千円札裁判のときには、裁判所に「これも芸術です」と、からだじゅうに洗濯バサミをつけまくった中西夏之が「証人」として登場するなどといったことがあったという。今回は、「偽造」か「芸術」かではなく、「わいせつ」か「芸術」かが問題である。ツイッターなどでよびかけて、世界中から性をテーマに活動するアーティストが証人としてあつまった法廷は、壮観であるにちがいない。特別にユースト配信なども許可してくれたりしたらもっといい(無理か)。ぜひひとにぎわいさせてほしい。そして、フジテレビをはじめ「自称芸術家の○○歳のおんな」といったいいかたで、彼女の本名と年齢を開示し嘲弄したメディア各局には、名誉毀損のつみをとい、芸術のなんたるかをまったく理解していない(というか判断していない)、まさしく「マスゴミ」でしたすみませんと公式に謝罪させる必要がある。そのぐらいぼくはおこっている。
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