2011年10月9日日曜日

ハラカミ・レイ


東京で、日曜日のひるまに時間がすこしできた。
お台場にある日本科学未来館ということろにあるプラネタリウムで以前から上映されていた「暗やみの色」という作品が、その音楽を担当したハラカミ・レイの急逝(7月末)をうけて上映期間を11月まで延長しているというはなしをきいていたので、ひさびさのお台場にいってみることにした。
ハラカミ・レイの音楽は、99年ぐらいから、すきでよくきいていたが、かれが突然なくなるまで、自分にとってかれの音楽のもつおもみがこれほどのものだったのかということに気づいていなかった。いまききなおしてみると、ほんとうは全然そんなことはないのだが、なんとなく「クラブ系」の音楽ということ、そしてそういう音楽にたいして(結構きくくせに)もっていた「ほんとの音楽じゃない」的な、じつはとても保守的な意識から、きっとぼくは、「ハラカミ・レイがすき」というものいいを、自分のなかでさえおもてにだすのをすこしはばかっていたのかもしれない。ぼくは、ハラカミ・レイがすきだ。本人がなくなって、そんなことをいいだすなんてずるいし、むごい。そしてかなしい。
ハラカミの音をここでことばでどうこういうのは、たぶんしなくていいこと。Youtube “rei harakami” 、これがかれのおとだ。この独特の音色、リズム、ディレイ、メロディ、リリシズムに、数々のリスナーだけではなく、多くのミュージシャンが魅了され、「晩年」(41歳というみじかい一生に、このことばはふさわしくない、その意味でのカギ括弧)は、矢野顕子とのコラボレーションである「ヤノカミ」の活動がしられていた。矢野をして、「世界遺産」といわれたハラカミは、ほんとうに、日本の音楽の「遺産」になってしまった。
さ きに、「クラブ系の音楽はほんとうの音楽じゃない」という偏見にふれたが、ハラカミはまさに、きっとおおくのリスナーの耳に、「クラブ系の音楽がほんとう の音楽」であることをしらせてくれた音楽家ではないかとおもう。かれのオリジナル作品にはほとんどボーカルがなかったが、まるで、その、こえがきこえてき そうな、シンプルなのにあまりにも表情ゆたかな「うたごえ」にききほれて、ぼくはきっとことあるごとにハラカミの音楽をきいていた。二階堂和美やUAと の共作をきいていても、それは、彼女たちの個性的なうたごえの「うしろ」にあるものではなく、こえをやさしく、あたたかくつつみこむ毛布のようなおとだっ た。ハラカミの音は基本的に電子音(楽器業界の友人の話では、ここ数十年の電子楽器史上でも、とても「中途半端」な時期の機種のみで、それをまさに「職人 芸」的にあやつりながら、あのだれにもかれのものとすぐにわかるおとをつむぎだしていたということだ)だから、それはいってみれば「電気毛布」なのだが、 これはいったいどんなサーモスタット?というような自然なあたたかさ、そして同時にそれはけして「アコースティック」のそれではないことによって、ASA CHANG & 巡礼のような特殊なおとづくりの音楽から、くるりのようなポップス的なそれとも、絶妙にマッチすることができる音だった。

そんなわけで、ぼくは7月 末からいまもずっと、面識もなかったハラカミミの「喪中」からぬけだせないでいた。だれかとカフェで、ハラカミしんだよね、というはなしをしながら、まる で知人のようになんだかなきそうになってしまう。こんなことははじめてである。これはよくない、この喪からぬけなければ、そんなことをおもいながら、お台 場をめざした。ハラカミの音楽にいろどられた星の風景をみて、原田郁子の朗読する谷川俊太郎の詩をきいて、せいぜいないてやろう。くらやみだし、それにき ている人のなかにはきもちをわかってくれるひともいるだろうからだいじょうぶ。ハラカミは、そうはいっても細野晴臣とか坂本龍一のような人ではないから、 延長上映しているといっても、そこそこ閑散としたシアター内で、ゆっくり喪に服そう、と、ゆりかもめにゆられながら、iPodで「天然コケッコー」のサントラをききながら、なくきまんまんで未来館に到着した。
日 曜日のお台場のにぎやかなところを2駅ほどとおりすぎたところにある未来館のまわりには、中心からはなれたおかげで、すこしはのんびりした雰囲気がただ よっていたが、エントランスをはいって上映予定をチェックしてみると、「暗やみの色」はすでに満席だった。もちろん、ぼくとおなじようなハラカミ・ファン というのもあるのだろうが、日曜日、しかも連休のなかびの未来科学館である。家族づれで「プラネタリウムをみよう」というひとたちがきっとたくさんつめか けている。予想するべきだった。
大 阪から、わざわざそのためにではないとはいえ、わざわざここまできたのだし、ハラカミ・レイとか知らない家族づれもきっといっぱいなんだから、ちょっとぼ くひとりぐらいいれてほしい、といいたい気分になったが、こうして、日曜日の午後に、家族づれやそれ以外のたくさんのひとびとが、満席のドームシアターで ハラカミの音楽をききながら「暗やみの色」をみる、というのは、ちょっといいことかもしれないとおもった。
ハ ラカミは、日本のポップ・ミュージック史上にどうしてものこらねばならない音楽家である。それをハラカミのハの字もしらない、ましてかれがしんだこともし らないこどもたちがききながら、とおいほしの世界におもいをはせること。あるいはぼくのようにハラカミの音楽がすきなカップルが、こどもをとなりにすわら せて、プラネタリウムをみながらなみだぐむこと。そういう光景を想像してみる。
「こどものころに、お台場でプラネタリウムをみたんだけど、そのときにきいて音楽がわすれられなくて、しらべてみたら、ハラカミ・レイという、当時おしまれな がら他界した音楽家がつくったものだということをしり、ぼくもこんな音楽をつくる人になりたいとおもいました。」という未来の音楽家がうまれるかもしれな い。
 「なくきまんまん」をくじかれて、すごすごとゆりかもめにゆられて汐留で下車、はれた日曜の午後のそらを、写真のように近未来的建造物がきりとっていた。 ぼくはあいかわらず「喪中」のままである。
ところで、かれの死の直後、なんでもいいからかれのことをもうちょっとしりたい、とおもいながらウェブをみまくっていたら、ハラカミ自身が、自分の音楽のルーツのひとつとして、ポール・マッカートニーのこの曲をあげていた。
匿名できかされたら、これハラカミでしょうというよりなさそうな音源。これをもって、ハラカミはポール・マッカートニーのぱくりであるというのは、あまりにも安易である。「ポール・マッカートニー II」という、彼のソロの中で異彩をはなつアルバムに収録されているこの10分をこえる曲は彼にとっては、ちょっとやってみた的な特殊な曲で、ハラカミはこれを引用したのではなく、これをルーツに、ポール・マッカートニーがここでやめておいたものをみごとに、自身のサウンドに昇華させてしまったのだ。音楽は、こうして複数の感性をとびひしながら、あたらしいおとになってつむぎだされてゆく。ハラカミ・レイがおまけでおしえてくれたこと。

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