東日本大震災による被災から5か月たった宮城県女川町を、当地出身の知人をたずねておとずれた。震災被害の実情の一部を、自分の目でたしかめるのが目的 だった。すでに報道されている通り、町の大部分が津波で壊滅し、復興のめどもたっていない。自然の力の前では、人間がつくりあげた文化・文明など、文字通 りひとたまりもないのだ、ということを思いしらされると同時に、「自分の原風景を失った悲しみは形容しようもない」という知人のことばに、なにもかえすこ とができない。かなしむ、いたむ、同情する、そんな日常の感情のストックは、なんの役にもたたない。
5か月たったその場所には、いまだにたくさんのがれき、横倒しになって破壊された建物などがそのままだが、それでもその一部には雑草が生い茂り、地盤沈 下によって冠水したアスファルトの道路を水底にして、無数のさかながおよぎまわる。20 mにおよぶ津波があらいつくしたこの場所にいきるこのさかなたちはいったいどこからきたのだろう。
3日間の滞在の最終日にちょうど開催された、女川町全体の夏祭りに参加させていただいた。人口1万人の町の住民のうち、830人が死亡・行方不明となっ ている。その日の午後2時46分、その人たちへの追悼のことば、あるいは未来への希望のことばをしるしたたんざくをさげた830個の風船が参加者たちの手 からいっせいに空にはなたれた。西の空高く、みるみるあがってゆく色とりどりの風船を、町のひとたちは歓声をあげてみおくり、気がつくと、女川伝統の和太 鼓轟会の太鼓のひびきがきこえていた。
自然は容赦なく、何にも頓着しない。だから自然そのものには絶望もないし希望もない。人間は、「人間」となって雨風をしのぐ屋根の下に生き始め、たがい にかかわりあって生きるようになって以来、こつこつと「文化」をきずき、自分以外の人を思い、なんども自然にはねとばされ、なんども絶望し、そしてそれと 同じ回数の希望をたぐりよせて、これまで生きのびてきた。
アスファルトの水底を泳ぎ回る小さなさかなたちがいとおしい、壊れた家屋で、露天にむきだしになった浴槽から容赦なくおいしげる雑草がちょっとこわい、 と、わたしたちは勝手に自然をたたえたりこわがったりする。でも、ちょっと無理をして、それら全部を、「生命力」とよろこんでみよう。そしてそれらに「希 望」をたくしてみよう。そのとき、「生命力」も「希望」も、そんなことばでそんなふうに考えることができるのは、当然だが人間だけだということも思いだし てみよう。「希望」という、人間の文化。人間の力。そのことに、まさに「望みを賭ける」しかない。それを私は女川町の人たちにいいたいのではなく、女川町 の人たちにおしえてもらった。そういうこと。
町内で震災による大きな被害をまぬかれて、自店舗で営業を再開していたおそらく唯一の食料品店である「阿部とうふ店」の店先に、花の種が何種類も棚にな らべて売られていた。自然がけちらかした場所に、性懲りもなくまた種をうえること、「文化 culture」とはきっとそういうものだ。
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