維新派の最終公演がおわった。毎年ばしょをかえておこなわれる年中行事のように、その公演をたのしみにしていたが、ぼくのような一鑑賞者にとっては、突然、何のまえぶれもなく、「最終」となってしまった。どんなものにでもおわりがあるというのは、ひとりのおとなとしてわかっているつもりだったけれど、会場にたどりついた瞬間から、そこをあとにするまでのすべてのものが、「きょうでおわり」というのはあまりにもさびしいと、おおくのひとたちとおなじようにおもわざるをえなかった。
しかられるかもしれないが、ぼくは、維新派は、しばらくまえから、まさに維新「派」というひとつの舞台芸術の流派として括弧たる様式を確立した(だからといって様式美に固着しない)劇団になっているとおもっていた。維新派観劇が「年中行事」になるのも、これもまたもっとしかられるかもしれないが、もしかしたら神社のマツリのような、「はて、ことしの獅子舞は?」といったきもちにさせる、スペクタクルであったからかもしれない。
自身演劇人(役者)である、としわかい友人は、はじめてみた維新派の公演が、今回の最終公演だったということだった。そして彼女は、維新派演劇の「顔面しろぬり」についておもしろいことをはなしてくれた。というより、維新派観劇が年中行事化し、それが自分にとっての演劇の「デフォルト」になっているぼくにとっては、維新派の役者がすべての公演で顔面しろぬりであることは、あらためて指摘されなければ、「あたりまえ」として意識されないことになってしまっていた。
「俳優」とは、「人に非ず人を憂う」のだと、いつか映画監督の阪本順治がいっていたが、舞台の役者は、歌舞伎に代表されるように、顔面に、しろぬりどころかそれにくわえた極端な化粧をほどこして、役者の日常をしらないものにとっては役者個人を「みるかげ」がなくなるほど、固定化したやくがらに自分の顔面を自己同一化する。能のように面をかぶれば、それはより徹底化するし、横浜ボートシアターなどのように仮面の使用を基本にしている劇団もある。役者本人の、すくなくとも顔面にうきでる「個」は、ある種の演劇にはじゃまなのだ(だからこそ逆に、野村萬斎のようにゴジラの(CG)着ぐるみのなかでも個をだしまくれるツワモノもいるということになる)。
くだんの友人は、そういう前提を考慮したうえでかどうか、維新派の「しろぬり」も、役者の「個」の消去にあること、それだけではなく、ひとりひとりの役者が、維新派という一表現主体(もしくは松本雄吉)の「コマ」となり、舞台上のフォーメーションの参与項となるための視覚上の措置である、と、(「視覚上の措置」などというややこしいことばづかいはぼくのものだが)おもっていたそうだ。
ところが、実際にみてみると、役者たちの舞台上のフォーメーションの視覚的な美学のすばらしさはもちろんそうだったのだけれど、かといってそれはけして、ひとりひとりの役者の「個」を消去するために作用するものではなかった。むしろしろくぬられた顔面をかきわけてでてくるように、役者たちの表情は、顔面においても、からだ全体においてもきわめてゆたかであり、そこから、これは「個」の消去ではなく「生命」の表現なのではないかというのが、その友人の理解で、ぼくはそれをなるほどとおもったと同時に、それまで自分が維新派についておもっていたちょっとした疑問のようなことにたいするカギをもらったようなきもちになった。
「生命」ということばで彼女がなにを本当にいおうとしていたのかはわからないが、このことばは、維新派についてぼくがかねてからおもっていたことを、とてもすっきりさせてくれることばだった。維新派は劇団で、パフォーミング・アート集団ではない。たとえばコンテンポラリー・ダンスの公演がみせてくれるような身体表現のテンションとおなじものは、維新派に期待できるものではない。それどころか、維新派のふりつけはときにぎこちないし、そろっていないし、さらにいってしまうと、「しろうとくさい」。しろうとくさいのだけれど、しろぬりの役者が、たっぷりとしたおくゆきと高低差のある舞台上にぽつんぽつんぽつんぽつんぽつんと、配置され、そこにやわらかい照明があたるだけで、なんといえばよいのか、舞台上に「血がかよう」ような、「血流」が「生命」をうむような、そんなしずかな躍動がこちらにつたわってくるのだ。役者のふりつけはそろっているようでぎこちなく、しろぬりの顔面からは血のかよった個の表情が「だだもれ」になっている。ぼくも、ずっと年中行事のようにみてきたが、いわば、維新派がいつまでたってもうまくならない感じにたいして、それでもこんなにきもちが高揚させられるのはなぜだろうというといへのこたえが、維新派をはじめてみた、そのわかい友人の「生命」(「いのち」だったかもしれない)ということばをてがかりに、すとんとみえたようにおもった。
維新派は、松本雄吉のもちものではなかった。松本雄吉が分娩した「生命」だったのだ。維新派の公演はこれでおわるけれど、維新派を、わたしの友人のようにただいちどみたひとも、わたしのようにかぞえきれずみたものも、その記憶(これは脳だけではなく身体の記憶というのもこみで)に、松本の「生命」をきざんで、いきてゆくことできるのだと、おもったら、なみだがでてきた。松本雄吉さん、ありがとう。
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