2013年1月30日水曜日

『ドキュメンタリー映画 百万回生きたねこ』

  
 絵本はこどもにしたしまれることを目的としておとなによってつくられる。おとなは、かつてこどもだったけれど、こどものころの自分の感覚や感性についてきちんとおぼえているわけではない。おぼえていても、ほんとうにそのときの自分の感覚で世界をみなおすことができるわけではない。だから、絵本のなかには、きっとこどもはこういうはなしをすればよろこぶだろう、というおとなの誤解にもとづいたものもきっとあるはずだし、そうでなくても、はたしておとなが「これはすばらしい」とおもう絵本を、こどもがおなじようにうけとめているのかどうかはわからない。
ネコとのかかわりもおなじだ。ネコは、イヌより無表情だが、なんとなく、「いろいろかんがえてそう」なところは、イヌよりもつよい、というのが一般的な印象ではないだろうか。しかし、だからといって、ネコの「思考」があきらかになっているわけでもなく、なんとなくつうじてそう、わかってそう、というところでぼくたちはネコとかかわり、かかわっているような気分になっている。しかし、本当のところはまったくわからない。
でも、もっと本当のところをいえば、おとなとこども、人間とネコ、というだけでなく、おなじ日本語なら日本語をつかうおとなの人間どうしでも、ほんとうのところ、なにかがきちんとつたわっているかどうかということは、たしかめるすべがない。このことについては、だいぶまえのブログでかいた(http://noribottisme.blogspot.jp/2011/10/blog-post_31.html)。
ぼくたちは、社会にいきている以上、いつもだれかとかかわっているが、いつもほんとうのところ、自分のことがわかっているかどうかということをたしかめることができない。ぼくたちはいつも孤独である。孤独であるけれど、だからといってひととかかわりながらいきることをやめられない。やめたくなることはあるかもしれないけれど、それでも、たとえばひきこもったりしていても、ことばによって思考することそのものが、自分のおもいを客体化することである以上、「かかわり」に、すくなくともゆるやかにつながるものでありつづける。ぼく自身、休暇中など何日もひととしゃべらないことがあるけれど、それでもぼくのこころが、始終はなしつづけているのがきこえてくる。
すこしはなしがそれてしまったが、いま、きょうみた映画『ドキュメンタリー映画 百万回生きたねこ』をみて、おもったことをかこうとしている。この映画の概要、予告編などについてはこちら。
ぼくは、予告編だけをみて、内容をよくたしかめずにみにいったのだけれど、これは、末期癌におかされた佐野洋子の闘病生活をおうドキュメンタリー映画ではない。実際に彼女は映画の中でなくなるが、彼女自身が、そんな映画はごめんだと映画のなかではなしている。むしろこの作品は、『百万回生きたねこ』という絵本そのもののドキュメンタリー映画というのがふさわしく、現にタイトルがそうなっているではないか、とみたあとに気づかされた。とはいえ、この映画をみるにあたり、この絵本をあらかじめよんでおく必要はない。ぼくもそれをまよいながら、結局よまずに映画館にむかったが、映画のなかで、ぼくたちはその全ページをいちまいいちまいめくることができる。
この映画には、佐野洋子が出演するが、彼女自身のすがたがうつされることはなく、こえだけがきこえてくる。そして登場人物は、ぼくのしるかぎり、渡辺真起子という女優をのぞいて、すべていわゆる一般のひとではないかとおもう。何人かの母親、そのなかには、画面から判断するかぎり、しあわせな家庭生活をおくり、家族の大切さをかんじている者もいれば、体外受精までしてさずかったこどものこそだてがうまくいかず、自分の母親に批判されることにくるしむ者いる。わかいころに子宮筋腫でおそらく子宮を摘出し、おやに「かたわ」よばわりされた50歳の女性、高齢の母親を介護しながら、奇抜にきかざることへの執着からはなれられない61 歳の女性、うつにくるしみ、自傷をくりかえすピアニスト、おさななじみのころから長年つれそったおっとをなくし、山村で茶をつみながらいきる79歳の女性など、さまざま。ただ、全員が女性だった。そして、映画のなかでは、これらの女性たちを映画製作者がどのようにみつけてきたのかといった説明はない。すこしウェブなどでもみてみたが、よくわからない。それだけではなく、たとえばこれらの女性たちが、たとえばこの絵本のおかげで苦境をのりきりましたとか、この絵本はすばらしいというようなことをこわだかにさけぶというわけでもない。もちろんすくなからぬ女性については、作品内で彼女たちが自分のこどもとかかわったり、こどもにこの絵本をよみきかせる場面をみることができるが、「ねこが何回もしぬのがこわくて、こどものころはこの絵本がきらいだった」という母親もいる。そして、いったいこのひとは、『百万回生きたねこ』とどうかかわりがあるのかよくわからないまま、というひともいる。
映画のなかできこえてくる佐野洋子のことばのなかに、こんなものがある。記憶にたよってなので、正確ではないかもしれないが、こんなこと。ひとは、いきている以上、自分を愛し、自分のいきる世界がよいものであればいいとねがい、そのようにするものであるはず。やっぱり記憶に自信がないので、だいぶぼくの解釈がはいってしまっているかもしれないが、こんなようなこと。これは、よい生をいきよ、という訓辞のようなものではなく、ただいきていることがそういうことなのであるという意味あいでとらえるべきものであると理解している。
『百万回生きたねこ』では、さまざまな運命のもとで百万回いきて、百万回しに、百万回いきかえったネコが、ある日、「しろいねこ」にめぐりあって恋におち、たくさんのこどもをうむが、こどもがおおきくなって、みなどこかへいなくなってしまったある日、しろいねこはしずかにいきをひきとる。ねこは何日もなきつづけ、そして、しろいねこのかたわらで、自身もいきをひきとり、にどといきかえることはかった、というところではなしがおわっている。ねこが生死をくりかえした百万回の生では、ねこはつねに、王様や漁師、サーカスの団長、どろぼう、老婦人、おんなのことなどの人間に飼われる存在であり、自分の生をみずからひきうけることがなく、その生をねこ自身もことごとく「だいきらい」でありつづける。だからふとしたことでねこはしに、かいぬしたちは例外なくその死をおおいにかなしむが、ねこはちっともかなしむことはない。漫然とした生は、いきられていない、だから自分の生をひとはあいすることはなく、生に執着することもできない。ぼくたちのこころは、ひきうけるべき生をみいだすまでは、そうやってかりそめの「生死」をつづける。だが、これが自分の生であるというものをみいだしたときに、つまり、生がはじめて充実したときに、ひとつのかぎりあるものとしての生がぼくたちのまえにたちあらわれ、あるときぼくたちはそのおわりをしずかにむかえる。そのあいだぼくたちはなにをしなければならないとか、こうしなければいけないということはない、けれど、ただいきているだけで、ただそうすることが、生の充実であり、いくつもの生がささえる世界の充実であるはずである。そんなことをこの絵本はかたっているのだろうか。
このようにかいたことがもしそれほどまちがっていないとしたら、この映画のなかで、脈絡についての説明なく登場するさまざまな女性についても、すこし理解することができるような気がしてくる。これらの女性たちは、それぞれさまざまな境遇をいきているが、彼女たちは例外なく、みずからの生を、それぞれのやりかたでひきうけ、かりそめではない生をいきようとしている。「かりそめではない生」は、しかしながら「ほんとうの人生」というものでもない。これが唯一いきるべき人生、とるべきみちとしてえらばれたものではないかもしれないけれど、自分は、自分なりのしかたで世界とかかわっている、それが、自傷行為のくりかえしをふくみこむものであったり、すなおに愛せないこどもにむかうきもちをかかえながらのもであったとしても、「こういきよ」というどこかのこえにしたがうのではない生が、そこではいきられる。それが、これらさまざまな女性たちと、この絵本との、直接・間接のつながりなのではないかとおもった。
「ねこは孤独な目をしている」と佐野はいう。あいすべき家族にかこまれているひとも、自傷行為をくりかえすひとも、長年つれそったおっとをなくしても故郷の山で茶をつみつづけるひとも、ひとは、世界とかかわりつつ、孤独でありつづける。この映画では、たとえば佐野洋子の生涯についてもまんべんなく説明されているわけではない。心臓が右にあり、12歳で他界した、つかれたように絵をかきつづけたあにの存在は、それでもこころをうつものであったが、孤独でありながら、世界とのかかわりをやめることのない生、これを肯定すること、これをつたえるために、この映画はとられたのだろうか、そんなことをおもった。インタビューをうけるすべての人物たちが女性であったのは、絵本→こども→母親といった短絡的な連想関係によるのではなく、彼女たちそれぞれのものがたりが、実は佐野の生そのものとかさねあわされたことによるものではないかと推察している。だからこそ、この映画では佐野自身のことが詳細にかたられることはなかったし、その必要もなかったのだ。
監督・撮影の小谷忠典というひとの作品をみたのは、これがはじめてだった。佐野に「あんたはなんでうちにくるのだったっけ?」となかばからかわれながら、まさに死にいたる日々にカメラをむけつづけ、目をうばうほどのうつくしい映像をつむぎあげた彼の才能に感服する。たくさんの、おそらくのらねこたちのショット、軽井沢の佐野宅の縁側から庭にふるゆきの風景、きりにけむる山のショット、佐野の出生地である北京でのさまざまな映像、そして登場する女性たち、こどもたちにむけられたやさしいカメラのまなざしは、「ドキュメンタリー」の語が想像させるなまなましさからはとおく、おそらくは小谷の映像感覚によって、とてもやさしいものとなっていた。

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