2013年8月15日木曜日

映画『ひろしま〜石内都・遺されたものたち』


遺品とはなにか、故人がのこしたものである。故人がのこしたものとはなにか、生前、故人に属していたものたちのことである。故人に属していたものたちとは、故人がきていた衣服その他の服飾品、故人がつかっていたメガネなどの道具類、故人が愛玩していた人形、その他。
なにか、そのひと用に、大なり小なり「カスタマイズ」されたものが「遺品」となるのではないか。その「カスタマイズ」はたとえば「あつらえた」ものがもっともわかりやすいけれど、そのひとが使用したり、みにつけたりするうちに、そのひとの、なんらかのそのひとらしさのようなものをまとったもの、それをしみこませたようなもの、そしてそれがそのものの「表情」としてあらわれるようなものを、ひとは「遺品」とおもうのだろう。パソコンよりは万年筆とか、炊飯器よりはおなべとか。
衣服は、その意味で、「遺品」のなかでももっとも「遺品的」なもので、この映画でも、石内都が撮影したものとして紹介される被爆者の遺品のおおくは、衣服だった。
「ヒロシマ」という現実は、「たくさんのひとびとのいのちをうばいました、そしてうばいつづけています」というものいいでは「マス」の現実ととらえられる。そして、おおくの大惨事は、当事者以外にはどうしてもそのようにとらえられがちである。東日本大震災を、福島を、それから2年半たったいま、ぼくたち非当事者のおおくは、やはりそのようにしかとらえることができない。ましてヒロシマからは、もう68年もたってしまったのだ。
石内が、この一連の作品でなにを意図していたかということにかかわらず、遺品を撮影することで、マスの現実をひとりひとりの、モノクロ写真ではなく、天然のいろをもった、しかもそれ以来ずっと継続する(いちども断絶していない)時間の延長上の現実(遺品もそこにいまあるものであるという意味で)が、そこにあるし、ぼくたちは、それをきちんととらえ、それになにかをかんじることができるのだというのが、この映画をみて、ぼくもふくめたおおくのひとがかんじることではないだろうか。映画の公式サイトにも監督(リンダ・ホーグランド)のコメントとしてあるように、だからといってこの映画は「啓蒙」のための映画ではない。ぼくがおもうに、あえて単純ないいかたをすれば、この映画は、「マス」を「個」にひきもどすための映画ではないだろうか。そしてそのために、石内都の、毎年広島にいっては遺品(いまも毎年原爆資料館に寄贈される遺品はふえつづけているということ)の写真をとりつづけるという活動をドキュメンタリーのかたちでつたえることが、そのとても有効な方法のひとつだったということ。
石内の展示作品では、ポスターやフライヤの写真にもなっている、くろいジョーゼットのワンピース、うつくしいはながらのワンピース、みずたまのブラウスなど、「戦時中」しかも終戦直前の「大変な時期」とはおもえないようなうつくしい衣服(もちろんその多くは被爆による損傷のあとをいろこくのこしている)の写真がめにつく。これらについて、作品中、収蔵された遺品を石内に提供するしごとにたずさわった学芸員のコメントでは、戦時中である以上、「華美」な服装はつつしまれ、おおくの女性はもんぺすがたで「臨戦状態」である社会にいきていた。しかし、そんな女性たちのなかには、その戦時生活の服装のしたに、ひっそりとそういう自分のよそおいをみにつけていたというのだ。
石内がかずかずの遺品のなかから選択して撮影したものが、もしびりびりにさけたもんぺや防空ずきんばかりだったとしたら、おそらくそれらの写真をみるぼくたちの意識は「マス」の現実からしたにおりてくることはないのかもしれない。戦争とは、まさに「個」が「マス」のなかにかきけされるものなのだ(そして国民服ももんぺも、まさにそれをひとびとにおもいこませるためのキャンペーンだった)という事実から、ぼくたちは一歩もふみだすことなくとどまって、「たくさんのひとびと」の惨禍にかたをおとすことしかしないのかもしれない。
もんぺのしたにうつくしいよそおいをかくしていた広島の女性たちは、その「よそおい」のメッセージを、いったいだれにむかって、なににむかって発していたのだろう。これは、たとえば、よくしられるように、淡谷のり子が慰問演奏でもんぺを拒否してステージ衣装をまとったという事実とは性質の異なることである。戦時体制へのひそかな抵抗とおもうひともいたかもしれないが、それ以上に、かんがえればあまりにもあたりまえのことなのだが、そういう時期であっても、「個」としての人間は、どこにもかききえていないのだということを、「表現」したのではなく、そういうあたりまえのことを、ただいきていたのだということ。だから、これはメッセージではない、そういう時間がきちんとながれていたのだということを、ぼくたちがおもいだし、おもいしらなければいけないのだということ。それだけ。
遺品は、そのひと用に「カスタマイズ」されたものであると最初にかいた。「カスタマイズ」とは、ひとが他人ではなくほかでもない自分であるということを認識するためのいとなみである。衣服は、したがって「自己表現」のようになにかおおげさなものなのではなく、「ほかでもない自分」を意識するもっとも端的な手段ということだ。そしてそれはしばしばとてもうつくしいいとなみである。石内は「うつくしいとおもうものを普通にとっているだけなんです」と、うそぶきともおもいかねないことをいっている。当然だが、被爆がうつくしいといっているのではない。「ヒロシマ」という惨禍のなかでも、ひとは「ひとびと」ではなく、「ひとりひとり」としてうつくしくあったのであるということをファインダーごしに遺品とかたらいながら、そのありさまをフィルムにやきつけたということ(この映画にみるかぎり、石内はフィルムカメラを使用していた)。
この映画は、石内のこれらの作品の展覧会がはじめて北米でもよおされたときのようすを中心にとられたものである。北米といっても合衆国ではなく、カナダの先住民に関する人類学博物館で開催された企画展だった。そこで、その展覧会にかかわったカナダの歴史学者が、石内にかたりかける。「カナダは核をもたない平和主義のくにといわれていますが、それはうそです。戦時中カナダはアメリカの要請でマンハッタン計画に参加し、国内でウランの採掘をおこなってアメリカに提供しました。そして、この博物館にその伝統文化が展示されている先住民のひとたちが採掘工事にかりだされました。広島・長崎の原爆投下後、先住民のひとたちはその事実をしり、自分たちの採掘したウランによってたくさんのひとのいのちがうばわれたことをしり、その事実をみとめて謝罪したのです。アメリカも、カナダもあやまっていないけれど、このひとたちはあやまった」こんなようなこと。
ぼくたちはおおむかし、ちいさな共同体でいきていたころから、社会や文明を発展させ、グローバル化とまでいわれる世界のネットワークを構築してきた、構築してしまった。でも、ぼくたちにはそのおおきな規模の共同体をきりもりし、そうやってつながりあった世界のあちらとこちらで、ひとがなにをおもい、なにをし、あるいは自分がしていることがなにを世界にもたらすかなどをきちんと想像できるようなちからをもちあわせていないし、このさきももちあわせることができるのかはわからない。それなのに、ぼくたちは世界をひろげることをやめないし、ひろげなくてはどうしようもない世界にしてしまった。「個」の存在にどのぐらいおもいをはせることができるか、それができなければ、ぼくたちはほんとうはなにをする資格もないのだ。それなのにである。
この映画は、「戦争はいけない」をうったえる啓蒙映画ではたしかにない。石内の作品はすべてうつくしく、「わたしはみずたまがすきだからこの写真がいちばんすき」と無邪気にわらうわかい鑑賞者の視点をもかくそうとしていない。しかし、そのいっぽうで、この映画は、そこ(ヒロシマ)にいたひとたちのひとりひとりが、当然のことながらそれぞれ「個」の存在であったことをいやがおうでもぼくたちに認識しなおさせるものである。そして、そのひとたちひとりひとりの遺品は、「犠牲」というものがいかなる意味でもあってはならないものだということをかたるものでもある。被爆者も、被災者も、すべての「犠牲者」は、そういうめにあってしまった例外的なひとたちの集団(事後的にそうなっただけなのに、なぜかぼくたちはそれをそうとらえることができない)ではなく、おなじひとりびとりであり、そうである以上、つまり、あなたがなにかの犠牲になるすじあいがないのとまったくおなじ意味で、だれもそうならなければいけないひとなどいないのだという、小学生でもわかるあたりまえのこと。「個人」という概念がわからなくてもわかること。
大震災と福島というまだまだ直近としかいいようのないもっとちかくの惨禍でさえも、ぼくたちはそこにいるひとりひとりを、わすれているつもりはないけれど、うまく想像できなくなる。そのぐらいぼくたちはいそがしい。いそがしくさせらている。芸術は、そういうぼくたちを、たいせつなもののちかくにそっとひきもどしてくれるちからをもつことがある。そして芸術がしてくれることはそこまででもある。そこから、について、かんがえてみようとおもう。

(写真はこちらからいただきました:http://www.thethirdgalleryaya.com/exhibitions/2010/10/six.php) 

2013年1月30日水曜日

『ドキュメンタリー映画 百万回生きたねこ』

  
 絵本はこどもにしたしまれることを目的としておとなによってつくられる。おとなは、かつてこどもだったけれど、こどものころの自分の感覚や感性についてきちんとおぼえているわけではない。おぼえていても、ほんとうにそのときの自分の感覚で世界をみなおすことができるわけではない。だから、絵本のなかには、きっとこどもはこういうはなしをすればよろこぶだろう、というおとなの誤解にもとづいたものもきっとあるはずだし、そうでなくても、はたしておとなが「これはすばらしい」とおもう絵本を、こどもがおなじようにうけとめているのかどうかはわからない。
ネコとのかかわりもおなじだ。ネコは、イヌより無表情だが、なんとなく、「いろいろかんがえてそう」なところは、イヌよりもつよい、というのが一般的な印象ではないだろうか。しかし、だからといって、ネコの「思考」があきらかになっているわけでもなく、なんとなくつうじてそう、わかってそう、というところでぼくたちはネコとかかわり、かかわっているような気分になっている。しかし、本当のところはまったくわからない。
でも、もっと本当のところをいえば、おとなとこども、人間とネコ、というだけでなく、おなじ日本語なら日本語をつかうおとなの人間どうしでも、ほんとうのところ、なにかがきちんとつたわっているかどうかということは、たしかめるすべがない。このことについては、だいぶまえのブログでかいた(http://noribottisme.blogspot.jp/2011/10/blog-post_31.html)。
ぼくたちは、社会にいきている以上、いつもだれかとかかわっているが、いつもほんとうのところ、自分のことがわかっているかどうかということをたしかめることができない。ぼくたちはいつも孤独である。孤独であるけれど、だからといってひととかかわりながらいきることをやめられない。やめたくなることはあるかもしれないけれど、それでも、たとえばひきこもったりしていても、ことばによって思考することそのものが、自分のおもいを客体化することである以上、「かかわり」に、すくなくともゆるやかにつながるものでありつづける。ぼく自身、休暇中など何日もひととしゃべらないことがあるけれど、それでもぼくのこころが、始終はなしつづけているのがきこえてくる。
すこしはなしがそれてしまったが、いま、きょうみた映画『ドキュメンタリー映画 百万回生きたねこ』をみて、おもったことをかこうとしている。この映画の概要、予告編などについてはこちら。
ぼくは、予告編だけをみて、内容をよくたしかめずにみにいったのだけれど、これは、末期癌におかされた佐野洋子の闘病生活をおうドキュメンタリー映画ではない。実際に彼女は映画の中でなくなるが、彼女自身が、そんな映画はごめんだと映画のなかではなしている。むしろこの作品は、『百万回生きたねこ』という絵本そのもののドキュメンタリー映画というのがふさわしく、現にタイトルがそうなっているではないか、とみたあとに気づかされた。とはいえ、この映画をみるにあたり、この絵本をあらかじめよんでおく必要はない。ぼくもそれをまよいながら、結局よまずに映画館にむかったが、映画のなかで、ぼくたちはその全ページをいちまいいちまいめくることができる。
この映画には、佐野洋子が出演するが、彼女自身のすがたがうつされることはなく、こえだけがきこえてくる。そして登場人物は、ぼくのしるかぎり、渡辺真起子という女優をのぞいて、すべていわゆる一般のひとではないかとおもう。何人かの母親、そのなかには、画面から判断するかぎり、しあわせな家庭生活をおくり、家族の大切さをかんじている者もいれば、体外受精までしてさずかったこどものこそだてがうまくいかず、自分の母親に批判されることにくるしむ者いる。わかいころに子宮筋腫でおそらく子宮を摘出し、おやに「かたわ」よばわりされた50歳の女性、高齢の母親を介護しながら、奇抜にきかざることへの執着からはなれられない61 歳の女性、うつにくるしみ、自傷をくりかえすピアニスト、おさななじみのころから長年つれそったおっとをなくし、山村で茶をつみながらいきる79歳の女性など、さまざま。ただ、全員が女性だった。そして、映画のなかでは、これらの女性たちを映画製作者がどのようにみつけてきたのかといった説明はない。すこしウェブなどでもみてみたが、よくわからない。それだけではなく、たとえばこれらの女性たちが、たとえばこの絵本のおかげで苦境をのりきりましたとか、この絵本はすばらしいというようなことをこわだかにさけぶというわけでもない。もちろんすくなからぬ女性については、作品内で彼女たちが自分のこどもとかかわったり、こどもにこの絵本をよみきかせる場面をみることができるが、「ねこが何回もしぬのがこわくて、こどものころはこの絵本がきらいだった」という母親もいる。そして、いったいこのひとは、『百万回生きたねこ』とどうかかわりがあるのかよくわからないまま、というひともいる。
映画のなかできこえてくる佐野洋子のことばのなかに、こんなものがある。記憶にたよってなので、正確ではないかもしれないが、こんなこと。ひとは、いきている以上、自分を愛し、自分のいきる世界がよいものであればいいとねがい、そのようにするものであるはず。やっぱり記憶に自信がないので、だいぶぼくの解釈がはいってしまっているかもしれないが、こんなようなこと。これは、よい生をいきよ、という訓辞のようなものではなく、ただいきていることがそういうことなのであるという意味あいでとらえるべきものであると理解している。
『百万回生きたねこ』では、さまざまな運命のもとで百万回いきて、百万回しに、百万回いきかえったネコが、ある日、「しろいねこ」にめぐりあって恋におち、たくさんのこどもをうむが、こどもがおおきくなって、みなどこかへいなくなってしまったある日、しろいねこはしずかにいきをひきとる。ねこは何日もなきつづけ、そして、しろいねこのかたわらで、自身もいきをひきとり、にどといきかえることはかった、というところではなしがおわっている。ねこが生死をくりかえした百万回の生では、ねこはつねに、王様や漁師、サーカスの団長、どろぼう、老婦人、おんなのことなどの人間に飼われる存在であり、自分の生をみずからひきうけることがなく、その生をねこ自身もことごとく「だいきらい」でありつづける。だからふとしたことでねこはしに、かいぬしたちは例外なくその死をおおいにかなしむが、ねこはちっともかなしむことはない。漫然とした生は、いきられていない、だから自分の生をひとはあいすることはなく、生に執着することもできない。ぼくたちのこころは、ひきうけるべき生をみいだすまでは、そうやってかりそめの「生死」をつづける。だが、これが自分の生であるというものをみいだしたときに、つまり、生がはじめて充実したときに、ひとつのかぎりあるものとしての生がぼくたちのまえにたちあらわれ、あるときぼくたちはそのおわりをしずかにむかえる。そのあいだぼくたちはなにをしなければならないとか、こうしなければいけないということはない、けれど、ただいきているだけで、ただそうすることが、生の充実であり、いくつもの生がささえる世界の充実であるはずである。そんなことをこの絵本はかたっているのだろうか。
このようにかいたことがもしそれほどまちがっていないとしたら、この映画のなかで、脈絡についての説明なく登場するさまざまな女性についても、すこし理解することができるような気がしてくる。これらの女性たちは、それぞれさまざまな境遇をいきているが、彼女たちは例外なく、みずからの生を、それぞれのやりかたでひきうけ、かりそめではない生をいきようとしている。「かりそめではない生」は、しかしながら「ほんとうの人生」というものでもない。これが唯一いきるべき人生、とるべきみちとしてえらばれたものではないかもしれないけれど、自分は、自分なりのしかたで世界とかかわっている、それが、自傷行為のくりかえしをふくみこむものであったり、すなおに愛せないこどもにむかうきもちをかかえながらのもであったとしても、「こういきよ」というどこかのこえにしたがうのではない生が、そこではいきられる。それが、これらさまざまな女性たちと、この絵本との、直接・間接のつながりなのではないかとおもった。
「ねこは孤独な目をしている」と佐野はいう。あいすべき家族にかこまれているひとも、自傷行為をくりかえすひとも、長年つれそったおっとをなくしても故郷の山で茶をつみつづけるひとも、ひとは、世界とかかわりつつ、孤独でありつづける。この映画では、たとえば佐野洋子の生涯についてもまんべんなく説明されているわけではない。心臓が右にあり、12歳で他界した、つかれたように絵をかきつづけたあにの存在は、それでもこころをうつものであったが、孤独でありながら、世界とのかかわりをやめることのない生、これを肯定すること、これをつたえるために、この映画はとられたのだろうか、そんなことをおもった。インタビューをうけるすべての人物たちが女性であったのは、絵本→こども→母親といった短絡的な連想関係によるのではなく、彼女たちそれぞれのものがたりが、実は佐野の生そのものとかさねあわされたことによるものではないかと推察している。だからこそ、この映画では佐野自身のことが詳細にかたられることはなかったし、その必要もなかったのだ。
監督・撮影の小谷忠典というひとの作品をみたのは、これがはじめてだった。佐野に「あんたはなんでうちにくるのだったっけ?」となかばからかわれながら、まさに死にいたる日々にカメラをむけつづけ、目をうばうほどのうつくしい映像をつむぎあげた彼の才能に感服する。たくさんの、おそらくのらねこたちのショット、軽井沢の佐野宅の縁側から庭にふるゆきの風景、きりにけむる山のショット、佐野の出生地である北京でのさまざまな映像、そして登場する女性たち、こどもたちにむけられたやさしいカメラのまなざしは、「ドキュメンタリー」の語が想像させるなまなましさからはとおく、おそらくは小谷の映像感覚によって、とてもやさしいものとなっていた。

2013年1月3日木曜日

映画『愛について、ある土曜日の面会室』

 

ひさびさに映画館でみたフランス映画の封切り作品。監督は新進気鋭、制作時28歳のレア・フェネールの劇場第一作。
最近の洋画は、英語のものはタイトルが翻訳されず、そのままカナ表記という場合が多く、『未知との遭遇』のような「名訳」にお目にかかることもなくなったが、フランス映画については、そうはいかないので、こうして「邦題」がもうけられることが多い(英語圏で上映された作品なら、その英語タイトルがカナでもってこられることもある)。『勝手にしやがれ』『大人は判ってくれない』『突然炎のごとく』など、ヌーベル・バーグ期などはとくに、原題には無関係なのに、いいかんじの邦題もかつては多かったが、このところ、自分がフランス語がわかるようになったせいもあるのだろうが、この「邦題」にげっそりさせられることも多い。この作品の原題はQu’un seul tienne et les autres suivrontというながいもので、試訳すれば「だれかひとりだけでもがんばれば、ほかのひとはついてくるよ」というもので、まさかこれをそのまま邦題にしろとは言わないまでも、とはおもう。「愛について、ある土曜日の面会室」は、この映画の場面設定と、底にながれるテーマを一緒にした、ある意味で(みたひとには)わかりやすいものだが、そのままいってしまうなよ、とくに「愛について」としてしまってはみもふたも、という感想をそれでももってしまう。「底にながれるテーマ」と明言できるのは、ユーチューブでみつけたインタビューで、フェネール自身がはっきりそういっていたからである。この作品のシナリオはすばらしいし、その発言も本人がいう以上そのとおりというしかないが、これをタイトルにいれてしまうというのはまた別の問題である。これが、もうすこし評価のさだまった中堅以上の監督の作品なら『面会室』で十分だった気がするし、そのほうが映画のタイトルらしい。もしかすると『面会室』とう邦題の映画がすでに存在するのか、とおもって「映画 面会室」で検索したら、ほぼ全部、この作品『愛について』についてのページで、インターネットおそるべしとおもった。この検索については、実はもっとおもしろいことも発見したのだが、これ以上タイトルのことではなしをひっぱるわけにはいかないので割愛する。
映画のストーリーその他については(あとでわりときちんとかくけれど)、以下の公式サイトをどうかご一覧いただきたい。
http://www.bitters.co.jp/ainituite/
そんなにたくさんの映画をみたわけではないが、とても独創的なストーリー。3つの、おたがいに無関係なひとたちが、それぞれ、それぞれの理由である土曜日のおなじ日に,刑務所の面会室でとなりあわせる。息子を殺された理由をしるために、犯人に面会しようとするアルジェリアの中年女性、暴力沙汰で逮捕された恋人にあおうとするが、未成年であるために単独での面会がかなわず、偶然しりあった研修医にたのんで奇妙な「三者面会」をおこなう少女、しごとも夫婦仲もうまくいかないさえない男が、あるきっかけで、自分にうりふたつの服役囚もなりかわるという「しごと」を遂行すべく面会室にむかう。3つの状況はあまりにもちがうのに、そこには、そう「愛」というおなじひとつのテーマがながれている、というのが、この作品の最大のネタバレということになる。
28歳のわかさで、監督フェネールが、なぜここまで複雑な状況の、しかも性も世代も国籍さえことなる人物のこころのひだに手のとどいたシナリオをかき、演出ができてしまったのか。彼女がかよっていた高校は刑務所に隣接しており、日々の通学時に、塀のこちらがわでさまざまな人たちをみてきたという。しかしそんなことはきっかけにすぎないはずで、これはやはり、フェネールのとぎすまされた感性のたまものというしかない。なにがそんなにすごいのか。「愛」についての映画だからである。
このようにいうと、ぼくなどは自分で鼻白んでしまう。そして「愛についての映画」なんて、ホラーとSF以外はほとんどそうじゃない、といわれてしまいかねない。いや、ホラーだってSFだって、しばしば数々の災難のあとで、抱擁する男女のシルエットでおわる作品は既視感枚挙にいとまがない。ちがう、ぼくは「愛」とかわからない、とつねづねおもってきたのだ。すぐにみんな「愛」「愛」というが、いったいみんなはなにをそれとわかってそうよんでいるのだ、適当にいっているだけではないのかとおもってきたほうである。だから自分でもこのことばはふだんほとんどつかえない。
loveamourは、きっと英語圏、フランス語圏で、日本語の「愛」とはちがう地位をもっているはずだ。そうでないとあれほど頻繁にくちにできるわけがない。英語にはそれでも動詞のloveについてはlikeとのすみわけがあって、ほんとに大事なときにloveは一応とってあることになっているが、amourは動詞ではaimerとなり(例の「ジュテーム je t’aime」の)フランス語にはlike に対応する動詞がないものだから、なんでもこれである。ぼくたちは、恋人を「愛」し、肉親を「愛」するのとおなじように、(すくなくとも言語上は)、牛肉を「愛」したり、大統領を「愛」したり、その他なんでも「愛」せる。そしてもちろん、そんなことより、loveamourには、宗教のバックアップもある。これについてはくわしくかく資格がないが、loveamour は、いってしまえば人間性の基本みたいにおもうのが普通なのだとおもう。
これにたいして「愛」はそうはいかない。「愛する」というのはそもそも日常語ではない。音読み漢字+スルという形式は、そもそもかたい表現である。「欲する」「浴する」「絶する」「反する」「供する」「益する」など、どちらかというと法律の条文とかでつかわれるようなことばと同じ語形成形式のこの「愛する」が、なぜここまで普及したのか。調査したわけではないが、おそらく歌謡曲とドラマのせいではないかとおもう。演歌ではなく歌謡曲。つまり、これも調査したわけではないが、「愛」は、きっと20世紀後半に、急激に日本語共同体の中に普及、あるいは蔓延した、といえるような調査をしてみたい。
映画のはなしからどんどんとおざかっているのかというと、そんなことはない。いま、loveamourと「愛」はちがうとかいたけれど、それでも、このことばは「よい」意味のことばなので、なにかをいい意味でとらえようとするときに、すぐにつかいたくなることばではあるはずだ。恋人との関係に、なにかいいなまえをつけたい。なまえをつけることで安心したい。「愛する」というかたいことばがもつ「おもおもしさ」は、そんなときにきっとloveamour以上に功を奏したのではないだろうか。歌謡曲でおもいつめたかおで「愛しています」とうたいあげる美男美女の歌手。ドラマのなかで、ここでこういうしかないだろう、というタイミングで「愛してるよ」といいやがる美しい俳優・女優たち。もちろん作詞家、脚本家的には、これは洋楽ポップスやハリウッド映画でくりかえされたloveの「翻訳」だったのかもしれない。ともかくも、「愛」はそれできっと大ヒットしたのだ。「『好き』ではなく『愛している』といって」ということで、きもちが「格あげ」される。そもそも感情の分化はなづけられなければそこまできっちり区別されるものではない(発達心理学未習)だから、「愛」となづけてもらえる、このすこしおもおもしい、そしてloveのかおりがちょっとするこのことばは、すくなくともとてもうれしいことばであるはずである。
しかし、「愛」において典型的に、そしてloveamourでもきっと同様におこったことは、その「濫用」だったのではないか。なまえをつけて安心することを、ぼくたちは毎日くりかえしている。なまえのないものをぼくたちは不安におもう。それでいつのまにか、きがるにそういってしまう。「ぼくはきみを愛している」
どういうことか説明しなさい、それは歌の歌詞できいたことがあるだけでしょう。それがどういうきもちなのか、きみはわかっているのか。ぼくはわからないよ。だからわかったふりはしない。だからつかわない。「愛してる」とか鼻白むわ。いやまあまあ、そんなめくじらをたてないで、いいじゃない、結構なことなんだからみんなが「愛」「愛」って口にすると、なんだかしあわせな雰囲気がただようじゃないですか。なるほど、それであれだね、「国を愛する心」とかいうのだね。「国を愛する」ってなに?そんなむずかしいことを、いったいだれができるのですか。ぼくは恋人をきっと愛している、それは、それでもなんとなくわかる。うーむ、たとえば、ぼくは彼女が車にひかれそうになったら、身を挺してもたすけようとするだろう、いや、それは恋人だからするのだろうか、そのへんのこどもでもしてしまうかもしれない、そうするとこれは「愛」じゃないのか、まあいい、それはわかるんだ。でも「国」ってなによ。土地のこと?ここにすむひとのこと?政治体制?土地っていってもね、全部しってるわけじゃないし、すくなくとも、土地を「身を挺してまもる」っていうのはよくわからない?あ、わかった、戦争にいくということだね、オクニのために。なるほどそういうこと。それだけじゃない、ここにすむひとにたいしてという意味でも「国を愛する」ということなの?あったことがないひとがおおすぎる、なんせ1億人以上もいるのだから。しりあいになったひとのことはたしかに大切にしたい、でもそれって何人いるだろう。全然かぞえられないけど、きっとせいぜい5000人ぐらいだろうか。全然たりないよね。それにぼくはそもそも外国にもしりあいや友人がいるんだ。そのひとをおいて、しらないひとを「愛する」なんでむずかしすぎる。政治体制についてはもうこれはお話にもならないけど、まあでも「日本国憲法の精神を愛する」とかはちょっといえるかも。ただ、そのときの「愛する」は体制=制度としての憲法ではなく、そこからあぶりだされる、ひとのこころのもちようのようなものだから、それもだいぶちがうな。恋人とは。
はなしをもどそう。「愛する」というのは、とりあえずなまみのひとにかぎるものとかんがえることにしよう。「恋人」「配偶者」「親」「こども」を、きっとぼくたちは「愛している」。でも、そのことばじゃなくてもいいかもしれない。そしてそのことばにまとめられるものでなくてもいいかもしれない。それにぼくの「愛する」とほかのひとの「愛する」がおなじかどうかをたしかめようもない。それなのに「母性愛」「親子の愛」と、既成事実のようにいわれるのはこまる。こまるのにみんないう。そこに、当然あるものとして「愛」がかたられる。
それでだいじょうぶなんですか?というのが、ようやくきちんともどってきたけれど、この映画『愛について、ある土曜日の面会室』のテーマである、フェネールはそこまでいわずに、ふつうにamourということばをつかっていたようにおもうけれど、監督のなかにあるものは、監督自身のインタビューのことばより、作品そのもののほうがそれを雄弁にかたるものであることはいうまでもない。だからぼくはインタビューのフェネールのことばをそのままのみこむ義務はないし、そもそもインタビューなんて、ねられたことばでいえるものでもなく、それに映画は商品でもあるから、そこでのことばは、そういう意味ももつのだとうことをさしひいてかんがえないと。タイトルもおなじ。いまさらいうまでもなく、タイトルというのは、映画のなかのもっとも「商品」的な部分だから、それで「愛について」などとかるがるしくくちばしってしまう。それがタイトルなのだ。
「愛」を、amourを、ぼくたちは、ここまでかいてきたようなしかたで、じつはすごく適当なしかたでつかってきたのではないかとおもう。安心するために、そこにはじめからあったもののようにおもえるように。でも、それは、「平時」、なにもおこらないときにしか安心の根拠にはならない。「愛」には「危機」がつきもの。「愛の危機」全文一致検索で、24,800,000件が0.14秒でヒットするぐらい、そうなのである。恋人のようすがおかしい。こどもがなきやまなくてうんざり。それでもぼくたちは「愛」を基本的に信じようとする。わたしには「母性愛」があるはずだ、「ぼくと彼女とは永遠の愛でむすばれているはずだ」云々。それでも「愛」はこわれる。もともとかたちなどないものだから。恋人たちはわかれ、こどもを虐待するおやがいる。恋人をころしてしまうことだって、三面記事としてはちっともめずらしいことではない。そして、この映画の3つの面会のなかのひとつは、まさに恋人につめたくされておもいあまってころしてしまった男に、ころされた男の母親があいにくるというエピソード。
この映画の中には、重要なやくわりを演じる何人かの「わきやく」が存在する。そのひとりは、いまかいたばかりの、恋人をころして服役中のおとこの実姉セリーヌ。マルセイユ市街の不動産業者で、みたところなんの不自由のない生活をおくっている。不自由のない生活。(でてこないけど)夫と、ふたりのまだちいさい、無邪気なこどもたちにかこまれた、つまり「愛」にみちた生活。おとうとはむかしから気のよわい、こころのやさしい子だった。もちろんおとうとのことも愛している。そのおとうとが、突然ひとをころした。
そのおとこにむすこをころされた母親ゾラは、犯人になんとかしてあいたい一心で、セリーヌのつとめるオフィスをつきとめ、みもとをかくしたまま、彼女と接触することに成功する。そして、偶然のはなしのながれで、彼女のこどもたちのベビーシッターとして、いえにでいりするようになる。そんなある日、セリーヌは、ゾラにうちあける。きちんとセリフをおぼえていないのだけれど、おとうとのことがあってから、「愛」というものがわからなくなった、自分が当然もっているはずの愛、たとえばあのこどもたちにたいする愛とか、そういうものがどういうものなのか、わからなくなりそう、というようなせりふ。
ぼくが冒頭からかこうとしていたことが、このシーンのこのせりふに集約されている。ぼくたちのまわりのいろいろなものには、ほんとうはなまえがない。なまえがないということは、そもそもそれが「なにか」としてとりだされているわけでもない。でも、なまえがあることで、ぼくたちはなんだかそれがはじめから当然のようにそこにあるものだとおもっていきている。でも、それは、ほんとうに存在することもあるけれど、なまえをつけて安心していただけで、あけてみると(なまえをとりさってみると、あるいはなまえがなまえにすぎないことに気づいてみると)、その存在が、ただなんとなく、人間の社会のなかであることにしてある約束のようなものにすぎないのではないかという不安に、簡単におそわれてしまう。なにもないのだ、「愛」などないのだ、といっているのではない。でも「愛」は、はじめからそこにあるものではなく、じつはひとりひとりが経験のなかで、「いきる」ことのなかでだいじにあたためて、そだててゆくようなものかもしれないということ。そのことをわすれると、世界は空洞ばかりの、かきわりの風景のようになってしまうことに、ぼくたちはどうしても気づくことができない。それが破綻するまでは、ということ。
破綻。きびしいことばだけれど、ぼくたちはちいさな破綻を日々経験している。しごとの失敗、人間関係のもつれ、さまざまなかたちでの大切な人の喪失。予想していなかった妊娠、嫉妬、にくしみ、絶望、いまかいたすべてのこと、そしてこうしてなまえをつけられないもっとさまざまなことが、この映画のなかにでてくる。そのひとつひとつに、フェネールはとてもていねいなことばをあたえ、映像としてかたちをあたえ、ぼくたちに、たしかに、きっと「愛」についてかんがえるようにしむけるのだ。そしてそのとき、ぼくたちがなれきっていた「愛」ということばのことばとしての希薄さを、ぼくたちはおもいしることになる。歌謡曲やドラマで鼻白みながらも、かるがるしくつかっていたことば「愛は地球を救う」「愛さえあれば」「愛のなんちゃら」「愛」「愛」「愛」。そのすべてが、どのひとつもそれではない、きみはなんでもないものにそのなまえをつけて安心しているけれど、いちどぎりぎりのおもいをしてみなさい、そうすれば、きみのなかで、そのことばは、いや、そのことばじゃなくてもいいんだ、きみがそんなに鼻白むなら、そんなことばでなくてもいい、その、それが、別の意味をもちはじめるかもしれない。「いきている」ことをつよく意識したことがある?自分が自分でうごいていきているのだということを、きちんとかんじたことがある?そこの、きみのとなりにいるひとに、きみはいまなにをおもっているの?すぐに「すきなひと」とかそういうこともいってほしくないな。簡単すぎるよそれは。いきてることって、ほんとはもっとややこしいことだって、きみはしっているでしょう。ややこしいことを、もっとそのややこしさのままひきうけないと、だからいったん、「愛」っていうの「愛してる」っていうのやめてみれば、たしかなものがあるかわからないけれど、あるとしたら、そういうところからこそみえてくるものかもしれない。
ところで、獄中の囚人と面会時にいれかわる、というのは、フェネールのインタビューによると、実際にこころみられることであるらしい。フランスの面会室は、日本の(しらないけど、それこそドラマとかでみる)とはちがって、アクリルであいてとしきられているのではなく、机をはさんでからだをふれあったりすることができるらしい。だから不可能なことではない。ステファンは、とにかく人生がうまくいっていない、いきていることのすみずみまでが破綻している。バイク便のしごとには集中できず、収入も不十分で、同居の母親から借金だらけ、しかもその母親とも妻とも不仲で、妻はよなよなであるいてはほかのおとこに売春まがいのことをしているようす。そんなときに、その妻が暴漢におそわれ、ピエールという町のやくざピエールにたすけられるのだが、そのピエールがステファンをみて、驚愕し、きみは、獄中にいる友人にうりふたつだ、かれは25年の懲役で服役しているがかれになりかわってほしい。そのための十分すぎる謝礼をだそう、きみが、脱獄した友人の安全が確保された時点で真実をうちあければいい。1年ぐらいの刑ですむだろう、という依頼をうけ、ちゅうちょのすえ、承諾する。こんなことを承諾できてしまうほど、ひとは困窮するのだろうか。ステファンは、なぜ承諾したのか。かねのため?妻のため?自分のため?このあたりのことは、正直にいってぼくにはまだ未解決。ただ、一種のスペクタクルとして、いちばん「みせる」のは、3つのエピソードのなかでもこれなので、このことについては、もうちょっとかんがえてみないといけない。なにをしてもうまくいかない、なんでもない、なんにもなりえない自分に「なまえ」をつけるために、「他人」となりかわることをうけるという逆説を、かれはうけいれたということか。かれをののしり、なじる妻を、ステファンはなんどもだきしめようとする。でも妻の態度はかわらない。これも「愛」となまえをつけて安心していたものの「空洞」ということなのか。それを、「なりかわり」によってかれは復元することができるのだろうか。おまえのような人間の1年がどれだけのものなんだ、というようなことばを、ピエールはあるときステファンにあびせる。がらんどうの「生」に、なかみをつくること、そしてそのためにすることが、他人になりかわること?それがそう?そこまで?
高校生のロールは、サッカーにうちこみ、母親にはそんなあぶないスポーツはやめなさいといわれながらも、クラブの友人たちとそれなりにたのしい日々をおくっている。そんなとき、通学のバスで、けんかでもしたばかりなのかひたいから血をしたたらせながら破天荒なふるまいをするアレクサンドルという若者に、なぜか気をひかれ、つきあうようになるが、ひょんなことからアレクサンドルは暴力事件をおこして刑務所に服役するようになる。「投獄された恋人」をもつ身となったロールは、彼と面会するために、たまたましりあったシニカルな研修医アントワーヌに同行をもとめてアレクサンドルとの面会を、アントワーヌ同席のもとに実現し、3人の、奇妙な関係が面会室で展開することになる。そのうち、ロールの妊娠が発覚し、それをつげにアントワーヌとともに面会にいくが、突然ロールは面会を拒否し、彼女を廊下にまたせたまま、アントワーヌひとりがアレクサンドルともっと奇妙な面会をする。このエピソードでは、先のセリーヌのケースとはちがって、そこには、なまえがついたものがなにもない、アントワーヌは終始超然とした態度をくずさず、アレクサンドルは、アントワーヌが同席しているのにもかまわずロールとの「愛」をたしかめようとしつづける。そして、結局ロールはアレクサンドルからはなれる。たしかなことは、ロールが妊娠したということ。「愛の結実」?とんでもない、では、そこにはなにもないのか、あるのか、なにがあるのかを、ぼくたちはとわれることになる。
むすこをころされたゾラは、犯人、つまりセリーヌのおとうとフランソワとの面会をはたす。ゾラはゆっくりと、自分のこどものなまえの由来をあかし、それによって自分の正体をあかす。フランソワは動揺しつつも、眼前の、自分がころした恋人の母親にむかって、自分がなぜ殺人をおかしたかをかたる。母親はきびしい視線でフランソワをみつめ、彼はその視線にたえることができずとりみだす(そしてこの動揺に乗じてステファンは獄中の男とのいちど失敗した「なりかわり」に成功する)。ここでは、ふたつの「愛」が破綻している。フランソワは恋人を、ゾラは息子をそれによってうしなう。両者のあいだには当然のことながらいかなる「連帯感」がうまれるわけもないが、それでもふたりは、ともにもっとも愛するものをなくしたという経験が共有されている。そこでは、いったい何が喪失されたのか。それが「愛」だとしたら、いったいそれはなにものなのか。
雑ぱくになってしまったが、この映画のものがたりをすこし忠実にたどってみた。
「愛」「愛している」ということばを、ぼくはますますかるがるしくつかえなくなった。そんなものがあるのか、というきもちもそのままだ。ちがうのは、それでも、フェネールをしてここまで「愛」をといかけさせるものがあるのだという、そのなにかについての確信である。不安をおそれずに、「愛」をいったんすててみよう。そして、それでもぼくたちはだれかとなんらかの関係をもてるのだということ、その関係がどういうものでありうるのかということについて、こたえをみつけようとするのではなく、といつづけてみよう。そういうふうにおもうこと。
ほかにもかきたいことはあるけれど(たとえば、「だれかひとりだけでもがんばれば、ほかのひとはついてくる」というこの原題、どうしましょうね。ラップの歌詞だとフェネールはいっていたけれど)、もうすでに(むだなこともかいてしまったので)ながすぎる。よんでくれて、ありがとう。
(画像出典:http://www.critikat.com/Qu-un-seul-tienne-et-les-autres.html