戦争をあつかった芸術作品は、「反戦」がメッセージである、と普通なってしまうので、ぼくはその点にいつも多少の違和感をもっていた。もちろん、こころざしはすばらしい。おおいにこえをあげてさけんでゆかなければならないことだ。しかし、それはいったい芸術のしごとなのか。「チベット解放支援ライブ」とか、「原発反対アートフェスティバル」などがあるたびに、ぼくはそうだそうだ、とおもいながら、でもやっぱり、芸術家はそんなことをする時間があったら、もっとみずからの芸術の切磋琢磨に労力と感性をそそぐべきであり、「片手間」以上にそんなことをやってはいけない、と思っていた。メッセージを直接つたえるのは、言論、そしてそれに特化した目的で活動する者たちのやくわりであり、芸術は、その芸術表現そのものによって、人々を(そうしたければ)啓発すればよいはず。そう思いながらも、クラッシュの徹底した社会主義やソウルフラワーユニオンの独自の活動のしかたにはやっぱり好感をもち、応援したいきもちは満々で、ぼくはなんとか、その違和感にそのうちきちんとおりあいをつけなければならないとおもっていた。
ヴォガの戦争をテーマにした作品『Ato-Saki』の再演をみて、こういう疑問自体が、きわめて「うけて」的なものであることにきづかされた。芸術の表現の基本になにがあるか、ということなど、「うけて」はかんがえないからだ。ヴォガにはいろいろなことに気づかせてもらっている。借金がまたふえてしまった。そのことについて、わすれないうちに、いまかいておく。
『Ato-Saki』は、「いきる」という行為が、およそぼくたちがおもいつくすべての動詞によって構築されているものであることを伝えている。それが、この芝居のもっとも中心的なメッセージであり、太平洋戦争の帰還兵をめぐるこのものがたりそのものは、(もちろん極論だが)そのために必要とされたアレゴリーである、とぼくはいいきりたい。ラストシーン近くで、出演者がほぼ総出となるスペクタクル的な舞台で、日下部正造(草壁カゲロヲ)を中心にすえた登場人物たちが、音楽に呼応してさまざまな動詞を終止形で口にする。「愛する」「しんじる」「うらぎる」。かんがえてみれば、「名詞」と「動詞」は、ぼくたちのことばを構成する中心的なアイテムだけれど、名詞が多様な事物ことがらに言及するものであるのにくらべて、動詞があらわすもののおおくが、人間の行為にかかわるものである。つまり、ほとんどの動詞は、人間を主語にたてることができるものばかりであるということだ。ただものの「うごき」をしめすのであれば、たとえば「(あめが)ふる」のように、人間を主語にしえない動詞がもっとたくさんあってもいいはずなのに、そういう動詞は希少である。これはどういうことか。つまり、およそぼくたちのまわりのものをうごかすのは人のしわざであるとぼくたちが、すくなくとも言語上はとらえているということであり、逆にいえば、人間の生とは、およそそのようなさまざまな動詞によって描写されるべきものであるということ。
そのようなことは、実際に芝居の中で、軍医高畑の口から発せられる。ある夜、主人公(といっても芝居のその段階ではまだ主人公として本格的にうごきだしているわけではない。前半では、日下部の存在は、おそらく意図的に一上等兵として、そのほかの兵士たちとともにえがきだされている)日下部がふと目をさますと、高畑ひとりが火のあかりでなにかによみふけっているのをみつける。日下部がたずねると、高畑は詩集をよんでいるのだとこたえ、いまぼくがかいたこととほぼおなじようなことを日下部につげる。芝居のもっとあとになって、そのとき高畑は自作の詩を日下部にきかせ、それがどういうものであったかということがあかされるが、ここではそれにふれない。
「いきる」こととはすべての「動詞」がかたることをおこなうこと、つまり「うごく」ことである。そこにふくまれるものであれば、よいものであれわるいものであれ、人間はすべてそれらをひきうけて「うごく」ということをしなければならない。それこそが「生」であり、「生」のみがもたらす祝祭である。そして、ぼくたちはそれをさまたげるすべてのものにあらがわなければならない。端的にはそれは「死」であり、いたずらにその「死」を大量にもたらす「戦争」は、ぼくたちの「生」をそれきり中断させてしまう最たるものである。
日下部はそのときは上記の高畑の言をただきくだけだが、片足で、つま町子のもとのにもどってきたかれは、みずからの「帰還」がつかのまのゆめのようなできごとであったことをさとった彼女のまえで、自分が高畑からまなび、みずからさとったことをちからのかぎりにうったえる。そしてこれは芝居である以上、その日下部のことばは、ぼくたち自身にむけられたものであることはいうまでもない。
高畑は詩によってそれを日下部につたえた。詩とはいうまでもなく芸術、ことばの芸術である。そこでぼくたちはこの芝居がほんとうにつたえているものをしることになる。芸術というのは「生」のよろこびの表現である。ぼくたちが、だれかにたいしてなにかを表現すること、それはすなわち「生」の実践であり、その実践にもっともつよい感性をもってのぞみ、それを祝祭的なたかみにもちあげることこそが芸術の実践。それが、いかなる人間のほかのおこないによっても、たやされることがあってはならない。とにかく「いきる」こと、それが唯一でありすべてであるということ。「美」とか「愛」とか、そういうものよりもまえに、いきて、うごくこと。いきられて、うごけること、それがぼくたちになによりもまずなければならないものであるということ。そして、そんなばかみたいにあたりまえのことが、たとえば戦争によってさまたげられる。破壊される。そしてそれは戦争だけによるものではない。この公演の再演が、東日本大震災、その後の原発事故のあった2011年という年におこなわれたことが偶然でないことは、作・演出の近藤和見自身がそうはっきり述べている。「東日本の震災・原発問題・成熟しない大人を代表するかのような政治家。一人ひとりに圧しかかる現状。折に、なぜ自分が書いた【AtoSaki】の人物たちが頭に浮かんだ。彼らには、いま、語りたい言葉があるのではないか。」(フライヤより)
この芝居が「戦争」をテーマにしていることはあきらかであるし、それをテーマにしたからこそ表現できたさまざまなことがあることはいうまでもない。でも、そのことそのものだけであれば、おそらくこの作品の典拠のひとつである奥崎謙三の著述と映画『ゆきゆきて神軍』などで、その多くが、この作品と共通する視点からのべつくされていることである。『Ato-Saki』のほんとうのテーマは、「生」をすべての資源とする人間のすべてのいとなみ、とりわけ芸術が、そこでどういうたちいちにあるのかということをこそつたえていたのではないだろうか。だからこそ、近藤は震災や原発を素材にあたらしい作品をかくのではなく、この『Ato-Saki』にふたたびかたらせることが必要だとおもったのではないだろうか。
ここまでかいたところで、最初にかいた、ぼくがこれまでもってきた「違和感」とのおりあいのはなしにかえることができる。芸術は戦争に敏感であるのは当然である。なぜなら、戦争は、芸術のよりどころであるとともに祝祭化の主題である人間の「生」そのものをおびやかすもっとも危険で、破壊的なものであるから。ほとんどすべての芸術表現は「生」をいわうものであるはずである。そしてこの作品『Ato-Saki』も例外ではない。『Ato-Saki』がつたえるものは、きっと表現するがわにとってはとてもあたりまえなのかもしれないが、うけてが実際にはなかなか気づきにくいところ。「戦争の悲惨」を、それ自体に特化してうれうのではなく、「生をおびやかすもの」そのものについて、芸術表現そのものをもちいて警鐘をならすこと。生にかかわるすべての動詞的ことがらへの祝祭である。そして、「戦争」は、いうなればこれらすべての動詞のいとなみを封印し、かわりに唯一の動詞によっておきかえてしまう。ぼくたちの「動詞」から、唯一なくなってしまったほうがよいもの=「ころす」によって。
フライヤによると、初演時のこの作品のテーマは「死者から生者への鎮魂歌」であるという。「死者」が「生者」を「鎮魂」するというこの逆説はなにを意味しているのだろう。これは、「生者」たちが、「生」そのものを満喫するかわりに、みずからその生をむしばむことばかりしていることの隠喩ではないだろうか。「死者」には当然ながら100%剥奪された「生」の動詞的発現のすべてを、「生者」そのものが実践するどころか、みずから破壊しようとしている、片足の帰還兵のすがたをかりてまで、死者は生者にそれをはっきりしらせにこなければならなかった。そうでなければすべてが「鎮魂」の対象になってしまうということ。
こんなおもいテーマを、ヴォガの芝居は「アングラ反戦演劇」のような手法とは対極にある、洗練された舞台づくり、演出、音楽、脚本のもとに、一大スペクタクルとして、つまりエンターテイメント作品として完成させた。ラストシーンで、ぼくはぼろぼろなみだをながしながら、役者たちといっしょにからだをうごかしていた。一級のパフォーミング・アーツが、そこにちゃんとあり、それは鎮魂されながら、同時にそこにうみだされているのだということを、ぼくはきっとほかのすべての観客とともにかんじることができた。